代表取締役 湯川 剛

34歳の誕生日を迎えた1981年1月15日に、大阪ロイヤルホテル(現在のリーガロイヤルホテル大阪)にて創立10周年記念式典及びパーティーを開催しました。販売店様や社員の家族の皆さんもご招待しての式典でしたが、訓練受講企業の方々も多く来られたので少し変わった式典をやろうという事で、第1部の式典の進行や第2部の会場移動に対して声を一切発声せずに手の上げ下ろしだけで運営や移動がされていく仕組みを作りました。軍隊が整列する「規律美」のようなもので、招待された多くの方が驚かれました。
それから以降5年毎の創立記念日には、この「規律美」をコンセプトに式典の運営がなされました。またこの方式を見て10社程度の企業が「是非、我社の創立記念に取り入れたい」との申し入れがあり喜んで指導にも行きましたが、結果的には1社も実現しませんでした。原因はやはり日頃の朝礼や理念を唱和する企業文化たるものが影響するものであって、やはり一夜漬け%Iなものでは無理があったようです。

1973年10月、当時5坪の借室で「1980年の8月までに自社ビルを建てるぞ」と決意してから89ヶ月目。待望の本社ビルが6ヶ月遅れで完成しました。2月9日が完成日でしたが、思えば1965年の2月9日が父親の会社が倒産した日であり、その後の16年の歳月は言葉で表わす事の出来ない複雑な心境でした。いずれにせよ1973年以降、執念ひとつで「何としても自社ビルを持ちたい」「持たなくてはならないのだ」とやって来たもので、さぞかし感慨深いものがこみ上げてくると思いましたが、実のところ3日でこの新築自社ビルに飽きが来ました。新築5階建ての自社ビル近くに建つ高層マンションと比較し「何と小さい」という思いが頭をよぎったからか、後日開いたささやかな竣工パーティーの席上で私は「もうこの自社ビル建設の思いは完了した。次は低周波治療器業界ナンバーワンを目指して、そして本当の自社ビルを建てたい」と挨拶したので、社員の皆さんの目はキョトンとしていました。

実はこの自社ビル完成の事がきっかけで、なんと私は自分の自宅をブルドーザーで2日間かけて潰していく様な行動に出るのです。それは次回にお話しましょう。

(次回に続く)

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