代表取締役 湯川 剛

 進学断念と多額の借金!!他人が聞けば、これ程不幸な18歳の社会への旅立ちはないと思うかもしれませんが、実はこの2つの出来事が、私のそれから以降の人生に大きなプラスを与えてくれたのです。

 いや世の中、何が不幸な出来事で、何が幸せな出来事なのか、分からないものです。・・・でも当時の私は、そんな物分かりのいい、前向き・プラス思考の青年ではありませんでした。むしろ小中学校ではいじめられっ子の部類に入っていました。少年時代はどちらかと言えば消極的な方でした。

 この「いじめられっ子時代」の話を社員の皆さんにすると、「ウソだろう」と殆どが理解を示さないのは、多分に今の私の面構えで想像していると思います。どちらかと言えば、いじめる側の顔つきですから・・・(^_^;)。私ほど社会に出て180度変わった者もいないかも知れませんが、私の経験から言えば、「人間は変われる」という事です。特に多感な青春時代の体験は、その後の人間に大きな影響をもたらすと思います。若い時代にどのような人物と会うか、どのような言葉を知るかが、その後の生き方に大きな影響をもたらすのです。だから素敵な人物と出会ったり、素晴らしい本との出会いがその人の方向性を決めたり、またその逆もある訳です。

 さて借金返済は弘容信用組合に対してであり、4年間据え置きという約束でした。私はこの4年間を「社会大学4年間進学」と当時、友達に言いふらしていました。恐らく進学断念の悔しさや恥ずかしさみたいなものを、カッコつけて言っていたのでしょう。「4年で卒業する22歳の時には、俺は会社を作ってやる」とホラを吹いていました。

 その社会大学4年間で学んだ事は、数え切れない程ありました。会計事務所に勤めていたお陰でいろんな社長さんのタイプに出会い、前回のお話のように習わぬ門前の小僧的な勉強もしました。その中で非常に印象に残っているお話をしたいと思います。

夜間の経理専門学校の思い出に、楽しいものは1つもありませんでした。何せ昼間に実践的な事を教わっていますから、特別学ぶという事もありませんでした。何よりイヤイヤ通っていました。そのイヤな専門学校にも楽しい夏休みがありました。夜の開放です。この時間を利用してアルバイトをしない手はありません。

 そこで薬剤師をしていた私の姉の紹介で、姉の友だちのお父さんが神戸や大阪で手広く経営している喫茶店の皿洗いのアルバイトを見つけて貰いました。私のアルバイト先は、大阪梅田の近くの阪急東通り商店街という繁華街の中にあり、喫茶店の名前はたしか「麦」でした。4階か5階建ての大きな喫茶店でした。

 オーナーの名前は王さんという華僑の方でした。殆ど店にはいませんが、顔は毎日出します。突然に来ますので、その時はウェイトレスやマネージャーは一瞬緊張します。ほんの数分前までオーナーの悪口や店の運営の不満を言っていても、「何か変わったことはあるか?」と訊ねられた時には、マネージャーは笑顔たっぷりに「いえ、何もありません」と言います。アルバイトをして数日経った時、「君が湯川さんの弟か」と声を掛けてくれました。「こっちにおいで」と事務所に呼ばれて、「何か困った事はないか。」と優しい柔和な顔で訊ねてくれました。私は姉の友達のお父さんの感覚でオーナーを見ていますから、あまり緊張はしませんでした。「いいえ、別にありません」すると王さんは「そうか」と言って、次に「従業員は何か言っていないか」(この質問はもしかしたら私を通じて、何か聞き出そうとしていたのかもしれませんが、当時の私は理解していませんでした)そこで私は「あります」と言いました。

(次回に続く)

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(次回に続く)

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