代表取締役 湯川 剛

これまでに第4号プラントまでのお話をしてきました。
プラント誕生の話を続けたいと思います。

5番目のプラントは川越工場の第1号プラントのある同じ埼玉県内の西埼玉プラントです。
「入間市にプラントが出来そうです」との一報が入ってきました。入間市は川越市と直線距離でわずか10数キロという近距離です。関東はエリアも広く人口も多く、2つのプラントがある事は何の問題もありません。1つは埼玉県を中心に北関東を担当し、もう1つは都内を中心に南関東エリアを担当すればいいと、その報告を聞いた時に思いました。

西埼玉プラントの鈴木オーナーは仙台プラントの菅原オーナーや四国中央プラントの鈴木オーナーと同じく、地域でLPガス事業を展開。加えて地元のケーブルテレビ会社も経営されていました。3人の共通点はプロパンガス事業以外の事業にも携わっておられ、視野の広い経営感覚を持っておられる事です。
「商売は最終エンドユーザーを如何に抑えるか。ガス事業やケーブルテレビ、そして水ビジネス。この3つの展開する事でシナジー効果を生む」と事業参入の理由を当時のWN担当者は鈴木社長の考えを報告書に記載しています。

プロパン業界では最大手の岩村産業が水宅配事業の先駆けとして参入しており、それらの経過は既にこの「人生はプラス思考で歩きましょう!」で書いてきた通りです。
特にプロパンガス業界は、冬は忙しく夏は閑散期になるので、この時期を利用して「夏のプロパン」と称して水宅配ビジネスに参入してきた訳です。よって鈴木オーナーのエリアも同業者が水宅配事業に参入している関係から問題意識は持っていたとの事です。
そんな折、OSGを通じて知り合ったという事でWNとの出会いがありました。

この西埼玉プラント誕生エピソードで忘れられないのは、まずプラント建設を進行された事です。第391回でもお話ししましたが、プラントオーナー様はまず自社でお客様を確保し、自社プラント建設までの間はWN本部もしくは近隣のWNプラントから製品水を仕入れて販売。一定度のお客様が出来た時にプラント事業に投資するのが一般的な対応です。ところが西埼玉プラントの場合はそれに見合う程のお客様は確保されていませんでした。にも関わらずプラント建設を決断されました。「自社プラントの水」に対する思い入れを感じました。
そんな鈴木オーナーの心意気に対し私は、第1号プラントである川越プラントの閉鎖を決断しました。勿論、閉鎖するには様々な手続き等がありましたが、私の決断の奥には鈴木オーナーの強い思いに対してエールでありました。
こうして08年2月29日に西埼玉プラントのオープニングセレモニーを迎えました。

この後、十二分な顧客を確保しないままプラントを建設した西埼玉プラントは驚くべき行動をとります。以下は、WN部長の当時の報告です。
『西埼玉プラント完成後「プラントオープンキャンペーン」を実施。その結果、何と3倍増の顧客を叩き出す訳です。経営者としては大きな投資に対する真剣度合いは当然の事ながら違いますが、しかしこれだけで実績が3倍に増える訳ではありません。
では3倍になったのか。その答えは現場にありました。現場で売っている社員さん達が「この水は私達が作った水です」とお客様に自信と愛着を持って勧めていたのです。他社が生産したものを売るのではなく「私達の水」を売っている意識の高さが行動を変えたのです』

鈴木オーナーの決断は誰しもが出来る事ではありません。殆どの経営者はこの「決断」が出来ないのです。多くの顧客を確保しながら、それに踏み切れないまま現状維持している会社もあります。経営はデータを分析し不確実な「明日」をどう読み取るかが非常に難しいところですが、しかしデータには表れてこない「魂胆」が実は左右するのです。見えない明日、すなわち不確実な明日に対してどう対応するか、古今東西の経営者の課題です。鈴木オーナーは誰もが思った「西埼玉は十二分の顧客もいないのに、よくもプラントを建設する」というデータ上の判断をする事よりも、現場が動く「人の心」を読み取った訳です。私にはよく理解出来ます。左右の分かれ道があった時、どちらに進むかの判断材料より進むと決めた後の気持ちの方が大きく左右するという事を私は理解出来ます。

仙台プラントの菅原オーナーも四国中央プラントの鈴木オーナーも同じことです。
プラント建設に十二分な顧客を確保していないにも関わらず決断された事は「全社員にこの水宅配事業をトップは本気で考えている」という強い意志の表れをプラント建設に託した訳です。データ上では現れない読みを考えるのが経営者です

この西埼玉プラントを建設する「経営者の決断」に賞賛し、私は川越プラントを閉鎖する事を決めました。その結果、川越プラントから配達していた水製品も西埼玉プラントから出荷する事になりました。

さて、こうして過去のプラント建設の出来事を振り返ってみると、あれこれと当時の様々なエピソードが脳裏に蘇ってきます。
第391回の冒頭「JF社のプラントが第7号プラント誕生についてお話ししましたが、本日は第1号から第6号プラントまでの経過を3回に分けて掲載したいと思います」とお話ししましたが、とても3回で納める事が出来なくなってしまいました。
第6号プラントについては次の第394回に掲載したいと思います。

(次回に続く)

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