代表取締役 湯川 剛

私の人生の中で真夜中に「早く朝が来い!」と願った事は数えきれない程あります。
明日こうしたい、ああしたいと思う事は、仕事人生の中で何千回とありました。
この日もそんな夜でした。

明日一番にJF社に行こう。私の頭の中は既に決まっていました。
本所社長をはじめ役員の皆さんを説得しよう。不具合に対して許しを請い、場合によっては全社員の皆さんの前で土下座してでも、もう一度チャンスを貰おうと決めました。

よくよく考えてみれば昨日の謝罪の場で私は大きなチャンスを貰った訳です。
「なぜ本所社長がJF社に水宅配ビジネスを導入しようとされたのか」を伝え「水宅配ビジネスの市場」についてもJF社の皆さんに説明をした。あの謝罪の場はそういう説明の場であった訳です。まさに神様がくれたチャンスの場だったのです。
その後のイタリア料理店での食事会も更に私自身を知って貰うための時間だった訳です。また本所社長が「同乗しませんか」と声を掛けてくれた事も私にとってチャンスでした。車中での会話で丹羽会長の「これからは水の時代だ」の話を得た訳です。
万事休すのように見えた状況が、こうして考えると全て私にとってはプラスの出来事のように思えてきたのです。
頭の隅か、心の奥か、腹の底かは分かりませんが私に「もう一度JF社に挑むべきだ」という得も知れないエネルギーのようなものが呼びかけて来ました。

既に私はその時、朝一番の新幹線で大阪に帰る気持ちなど、毛頭ありませんでした。
ただただ一点のみ。それは「JF社本社に行こう」それ以外、考える事はなかったのです。薄暗い部屋のベッドの上で考える事は「状況を変える事は出来る」という事でした。
もしそれでもダメだったならば、丹羽会長のところに行こう。丹羽会長を説得しよう。
丹羽会長の言葉こそが私にとって説得の強力な材料になると確信しました。
神様は、本所社長との車中での会話をプレゼントしてくれたのだ。私には「出来る」というゴールしか、その時見えていませんでした。

社宅近隣に社用車の駐車場がありました。当時は私が自ら運転する機会は段々少なくなり、殆どは東京本部の管理部門の社員さんに運転して貰う状態でした。JF社を訪問する際も、社員さんに運転して貰っていました。
3月初旬の早朝4時はまだ暗く5時まで待とうと思いました。
この時間に社員さんに運転して貰うのは申し訳ないという気持ちもありましたが、実際のところは待ってられない気持ちの方が先立ち、私は駐車場に向かいました。自ら社用車のハンドルを握りJF社に向かいました。運転しながら電話するのは交通違反である事はわかっていましたが、携帯電話を手にしました。昨日、JF社の運転手さんに本所社長を迎えに行く時間を聞いていたので、まだ社宅におられると思い、本所社長の携帯電話に電話しましたが通じませんでした。
次に証券会社なら早く出社しているかもしれないと思い、担当者の携帯電話に電話をしましたがやはり通じませんでした。朝の6時前から、たぶん電話を取る人はいないでしょう。そう思いながら次にJF社の幹部Nさんの携帯電話を鳴らしました。
「もしもし、あっ、湯川社長、おはようございます」あっ、通じた!!

「今、JF社本社に向かって走っている。本所社長に電話したが通じない」と幹部の方に伝えると何かを察してくれたのでしょう。「社長には私から伝えておきます。ただそんなに早く来て貰っても社長も出社していません。朝礼もあるので9時頃にお越し下さい」と応じてくれました。

それもそうだと思いながらも、車はJF社本社に向かっていました。
高速道路を降りたところにあるマクドナルドで、私は時間調整する事にしました。
生まれて初めてマクドナルドの朝食セットを注文し、暖かいコーヒーを飲みながら少し落ち着くと私は「もし本所社長が出張で不在だったらどうするつもりだったのか」と我ながら苦笑してしまいました。そうこうしている内に携帯電話が鳴りました。
「湯川会長、おはようございます。何か?」証券会社の担当者からです。
「もう一度、JF社を口説きに行く」と伝えると、証券会社の担当者は「凄いですね。わかりました。湯川会長らしいです」といいました。

そうなんだ。私らしいのだ。こんなところでへばっていては私ではないのだ。
どう展開するかもわからないが、まずは動いてみる。そして動かしてみる。
結果は別としてその方向にエネルギーを集中している事を含めて「私らしい」のだ。

(次回に続く)

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