代表取締役 湯川 剛

最前線で指揮を執る社長職から未来ビジネスを担当する会長職になった事で、少し気持ちに余裕が出てきました。前々から時間があれば2つの事に取り組みたいなと思っていました。
1つはボランティア活動、そしてもう1つは私の体重についてで、以前少しお話しました。

私はよく言われるところの「明日からダイエット」タイプで、気にしながらもお客様や社員さん達との食事の誘惑に負けます。私の場合、食事は大事なコミュニケーションの機会だからです。
特に中国に行くと日本人の感覚で見ると、卓上を彩る料理はまるで宴会です。ビザなしでの訪中は最大15日間。当時はスケジュールが許す限り、15日滞在で出張予定を組んでいました。つまり14泊15日、14地区の代理店を訪問する具合で、ほぼ毎月がそんな感じです。
昨日は大連、本日は天津、明日は北京、明後日は鄭州と地域の代理店を回ります。各代理店社長は円卓いっぱいに料理を並べてもてなしてくれます。他の代理店よりも料理の見栄えが悪ければ「面子がない」とばかりに競うようにして、私を心からもてなしてくれるのです。しかも昼・夜の接待です。中国人の定番接待は「食事 + カラオケ + 足裏マッサージ」らしいですが、私がカラオケやマッサージにいかない事を知っている為、代理店の社長は私に対しつい食事に力を入れます。それにお酒が加わります。
「乾杯」「乾杯」を繰り返す14日間が毎月やってくる、そのような感じです。

やっと日本に帰ってきたと思えば、日本を不在にしている手前、お客様や社員さん達とも「メシでも行こうか」となり、これで肥満にならなければそれはそれで胃腸の具合を逆に心配してしまいます。幸いながら私の胃腸は丈夫です。
中国での行動は、空港・ホテル・代理店・空港・ホテル・代理店が毎日のスケジュールですので、運動する時間もありません。しかも油まみれの中華料理です。
家族は「適当に食べればいいのに・・・」といいますが、それはそれで「おいしくありませんか」とお客様から心配される原因になるので、むしろ他の人の倍近くも食べます。このままではいけないと考えていました。
だから少し時間が出来れば、すぐさま減量作戦に入ろう!と思っていましたが、会長就任後、なんと1年以上が過ぎてしまいました。

「さぁ、仕事が片付いた!ゆっくりしようか」と普通はいいたいところなのでしょうが、私の場合「さぁ、仕事が片付いた!さぁ、次の仕事に取り組むぞ」が当時の生活パターンです。しかし60歳を越え、そろそろ自分自身の体の事も考えなくてはなりません。特に健康面においてはなお更です。私の場合、それは会社経営にも影響を与えます。
格闘技でいうところの90キロクラスの重量級選手になっていました。ある幹部から「あと少しで大台です。頑張って下さい」と冷やかされ、人生で一度も100キロを経験していないので、ふと挑戦してみようかな(笑)と思いますが、やはり170センチの私には不健康な体重です。

ある時、中国衛生部や中国保健協会がアルカリイオン整水器の件で来日した際、大変お世話になった元厚生大臣からも「湯川さん、肥えすぎですよ」と言われ、伊豆伊東にある保養所を紹介して頂きました。
08年11月9日入所し、6泊7日のコースを申し込みました。
簡単に説明すれば1日の食事はなく、その代わりにんじんジュースを1日3杯飲むだけです。
参加者の殆どの人は隣接しているゴルフ場でプレイしています。この保養所のセールスポイントなのでしょうか。ゴルフをしない私には関係なく、毎日2時間ほどウォーキングしました。
メシ抜き+ウォーキングをやれば当然、成果を期待します。
しかし結果的には1週間で2キロの減量。これは成功したのかどうか分かりません。実のところ、もっと期待していたからです。食事が出る訳もなく(当然の事ですが)、宿泊施設を借りているだけの料金としては正直、高いなと思いました。帰宅してからも「成果の割には料金が高いな」と心にひっかかり、よし、これなら今日から毎日1万歩・2万歩と歩いて減量してやるぞと、本格的なダイエットに取り組みを退所後に決意しました。そして1年後には約10キロ減量の78キロとなり、目標の75キロ到達が見えるまでになりました。

減量開始から10年間、大幅なリバウンドせずに過ごしています。食事制限は、相手がある事で殆ど変わっていません。ただ減量を開始してから日本にいる時は毎日2時間前後歩きます。出勤も往復1時間30分かけて歩きます。休日には4~6時間歩きます。例えば、大阪なら本社からユニバーサルスタジオまで、東京なら社宅のある品川から羽田空港と言えば分かるでしょうか。距離にすれば20~30キロになります。海外出張の場合もウォーキングシューズを持ち歩いています。
後日「そうか、あの時、断食保養所の費用が高く設定しているのは、私のように支払った料金は無駄にしたくないので、よし!退所してから減量だ」と思わせる為の高度な作戦だったのかと自分なりに納得しました。そういう意味において価値のある断食保養所の体験でした。

こうしてボランティア活動と減量作戦を会長職になり、取り組んだ訳です。

では次回から、会長の担当である「未来ビジネス」としての中国ビジネスと水宅配ビジネスについて、08年あたりからお話しします。


(次回に続く)

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