代表取締役 湯川 剛

1973年は私にとって色々な出来事があった年です。後々に渡って、私と我社に大きな影響を与えた年でした。3月の浄水器雑菌問題はメンテナンスの重要性をもたらし、以降35年、カートリッジ交換を続けてこられたのも、この年がスタートの年と言っても良いでしょう。記念すべきコマーシャル第1号もこの年でした(笑)。
私が突然、中長期目標を発表したのもこの年の秋の事でしたが、そのきっかけは決して褒められたものではなかったかも知れません。

浄水器の販売とメンテナンスの両立を考えていた私は、ある企画書を持って浄水器を扱っているZ社を訪ねました。Z社を訪ねた理由は浄水器協議会でZ社研究所・I所長と出会ったからです。企画の内容はZ社の製品にメンテナンス希望の葉書を入れ、そのメンテナンスは我社で行なうというものでした。I所長の紹介でY課長を訪ねて行きました。
企画内容を説明したところ「なかなか良い企画だ。検討する価値は大いにある。」と、今すぐにでもOKを頂けそうな好感触の手応えでしたが、なに分にも上司の許可が必要だとの事。この時、生まれて初めて私は「稟議書」という言葉を知りました。そこで改めて15日後に回答を頂くと訪社のアポを約束して、その日は帰りました。高揚した気持ちで帰社した私は早速、部下を集めて自分の企画を自画自賛したのです。幾らテレビでコマーシャルしている有名な会社でも、企画力があれば受け入れて貰えるのだと、自慢たらたら。しかもそんな話を毎日のように行なったのです。

回答を頂く約束の日がきました。この日も朝礼で、同じような話を朝礼のネタにしていました。社員にとっては毎日聞かされる「企画力」「大手企業でも売り込め」は、ウンザリした話だったかもしれませんが、この日は日頃と違って皆、ニコニコしながら聞いてくれた感じでした。
「社長、ガンバッテ」の声援を背に
「よっしゃ〜、任せてくれ!」と気勢を上げて出て行きました。
Z社には約束の時間より30分も早く着きました。高ぶった気持ちを落ち着かせるべく、Z社近くで少し時間を潰しました。気合いを入れ直し、満を持してZ社へ。受付を訪ねたところ、「聞いております」との事で、応接室へ案内されました。広い階段、明るい廊下。全てが自分のこれから受ける半月前の回答を祝福しているように思えました。応接室で数分待つ頃、Y課長は入って来ました。心なしか元気がない印象を受けた理由は、この後のY課長の話で分かりました。

(次回に続く)

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