代表取締役 湯川 剛

05年の夏から秋にかけて、私は2つの課題に対して殆どのエネルギーを使っていました。
1つは中国事業であり、もう1つは水宅配事業です。

中国事業では、中国衛生部ショックからの解決策として中国衛生部一行を来日させ、厚生労働省等の行政への対応や日本機能水学会等の関係者との面談に走り回っていました。(第302回)
中国市場の衛生部ショックによる混乱を収めるだけでも精一杯でした。にも関わらず水宅配事業では脱アクアCから模索する水宅配事業への構築に奔走していました。

日記を見ると当時、かなりの不眠症に悩まされていた様です。不眠症がそんな行動を取らせたのかどうか分かりませんが、私は超多忙な中、おかしな行動していました。
2大課題に一睡も出来ずヘトヘトの状況下、私は水自販機について考えていました。
私は「水」については、ついつい目が行きます。例えばランチの時間がない場合、時々駅中での立ち食いそばを利用します。そんな時、カウンターにおいてある冷水機に目が行きます。
どこのメーカーだろう。このようなお店は全国に何店舗あるのだろう。
私は休日等で時間があれば必ずウォーキングをします。公園などで給水装置があれば同じように、全国にこのような公園は何箇所あるのだろう。と、そんな感じです。
02年2月にグローバル化と事業領域の拡大を発表した私は、街を歩いても電車に乗ってもOSGに関連するような製品を常に模索していました。

当時の私の思考回路は、中国事業と水宅配事業で殆どを占めていました。
それ以外に社長業としての業務もある訳です。勿論、幹部の皆さんがいて多くの社員さんもいて組織がある訳ですから彼らも私の業務にはしっかりと補佐してくれます。しかし未だかつて会社自体が経験した事のない問題に対しては、リーダーである私が率先垂範してその問題に取り組まなければなりません。05年当時においてそれは、中国事業と水宅配事業でした。
私の殆どのエネルギーは2大新事業に費やされ、それ以外に考える余裕はない筈なのです。

でもある時、スーパーの店頭で見かけた水自販機に目が留まり「コレだ」と思いました。
中国進出や水宅配事業の導入初期の混乱期でもあり、そんな状況の中で更にこの「水自販機」を提案したなら「社長、何を言っているのですか」と全役員に言われてしまいかねない事は明白です。

それでも私は動いてしまうのです。どうしようもないのです。スーパーの店頭に並んだ水自販機が私を呼んでいるような気になってしまうのです。
「湯川さん、こっち向いて」ってな事は言ってません。もしあの時、私の耳にそう聞こえたならば、それはかなりのストレスで病院行きです。でも気になって仕方が無かったのです。
私は極秘で6ヶ月間、自販機の試作品を進めていました。
極秘に動いていましたので、当然会社の予算は使えません。自費で開発をし、協力して頂いていた名古屋の開発会社と水面下で進めていたのが水自販機でした。
極秘の開発をしながら時々、自問自答してこれでいいのかなと思う事はありました。
それが「今取り組んでいる2大課題が安定するまで水自販機の開発は一旦停止」をすべきかという自問自答です。しかし結果的には「安定する等、永遠にない」という回答です。

私はOSG社内において6ヶ月間の極秘開発を明らかにし、05年10月26日、次のようなスケジュールを決めました。

●11月末、ボディー及び内部構造を決める
●12月末、コスト及び設計図完成。ネーム決定
●1月末、 部材の決定
●2月末、 試作機決定
●3月末、 発表会
●4月末、 試作機テスト完了
●5月末、 発売。市場に出す。

私が思いついてから市場に出すまでの期間はわずか14ヶ月スピードスケジュールでした。
勿論、上記のスケジュール通りには行かないかもしれませんが、6ヶ月間の極秘開発が大きな鍵を握っていました。

中国事業に水宅配事業。そこに水自販機事業の話しを入れますと、この「人生はプラス思考で歩きましょう!」のお話しは混乱します。水自販機に対しては後日、改めてお話したいと思います。

(次回に続く)

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