代表取締役 湯川 剛

この頃の私はOSG本体の仕事は当然の事ながら、2大課題(水宅配事業・中国事業)に時間の殆どを取られていました。エネルギーもです。当然、休日などありません。
ところが当時の日記を見ると、そんな超多忙な中でも学生向けのリクルート活動や台湾・韓国の企業に社員教育も行なっていました。
睡眠時間を削るのも限度がありますし1日24時間、物理的にそれ以上の事は出来ない筈です。工夫を凝らし最大限有効的に24時間をフル稼働させる。時間はまさに量×質で生かさなければなりません。限りある時間の中、2大課題(水宅配事業・中国事業)に取り組んでいました。
今回は中国事業中心に書きます。第290回(6月1日掲載)の続きです。

改めて第290回までの話を簡単にまとめます。
台湾経営者が所有する広大な工場の一部を間借りして、生産していた天然三愛でしたが、いよいよ5月より新しく出来た1棟で生産を開始する事になりました。
新工場は約3000平方メートル(約1000坪)の広さです。
ところがこの新工場で生産された製品の中に不具合品が発生しました。
そこまでが前回のお話の通りです。
結果には必ず原因があり、その原因を追求する事で次の対策が打たれ、二度と不具合を出さないという事を市場に約束し、中国進出以来、計画を上回る出荷がされました。

03年春に中国に輸出し、04年春には中国市場向け製品を製造し、やっと自前の工場も完成した訳です。その矢先の不具合発生は、製造環境が整った状況であるが故にショックでした。

第290回でも掲載したように、80年代前半の中国ではほぼ全ての民生用工業製品が、完全合格品の「一等品」、品質に問題のある製品をその問題の程度によって「二等品」「三等品」と類別し、異なる価格つけて販売。そして更に程度が悪く市場販売が許されない製品を「等外品」として格安で社内販売する、もしくは役所や関連企業などに販売。当時の品質意識としては、本来「非完全合格品」か「程度の悪い商品」と分類すべきところなので「不具合品はない」という事になるのです。しかし、それは25年前の事で、この05年には通用しない話です。
ハイアールの創業期における「ハンマー伝説」のビデオを見て全員が反省をしました。
私の心の中には、これも一種の通過儀礼で必ず通らなければならない試練だと思いました。

この頃、私は中国事業推進に対し、中国全土の代理店を時間の許す限り縦横無尽に走り回っていました。
元々本来は、販売は中国パートナー企業天然(香港上場)が担当し、製造はOSGと天然の合弁会社でしたが、実質的にはOSGが製造部門を担当していました。しかし私は製造部門を幹部に任せ、中国市場把握の為に殆どの時間を営業拡販に使いました。

「製品を取扱って欲しい」等の営業活動ではなく、OSGの企業理念や社員教育を全国の代理店経営者に教育する事に重きを置いていました。
勿論、お客様集会には可能な限り参加し、それが功を奏したのか、不具合は発生しましたが根本的問題として取引中止などの事態は免れました。月を追う毎に出荷が前月実績を上回っていく事に中国パワーの凄さを肌で感じました。手応えを感じる事で14泊15日というハードスケジュールであっても私は58歳という年齢を忘れ、疲れも感じる事はありませんでした。

03年春に中国にOSG製品を輸出し、04年春に現地法人を設立。そして05年春に待望の工場が完成。不具合等の問題もありましたが、このままの伸び率でいくと中国進出からわずか3~4年で出資額も回収され、5~6年も経てばOSGグループの売上の50%の影響を与える収益事業になるのではないかという予測すらありました。
私の人生訓の1つに「好事魔多し」というのがあります。絶頂な時ほど緊張が走ります。

そんな矢先、2005年7月21日、中国から私の携帯電話に1本の電話が入りました。
「社長、大変な事が起こりました」に、また不具合が発生したのかと思いました。
しかしこの電話は、不具合発生どころか、OSGの中国進出の根本を覆すような出来事でした。

「なんだって・・・」その事態を聞きながら腰が砕けるような感覚になりました。

(次回に続く)

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