代表取締役 湯川 剛

「売るだけ、買うだけの関係では味気ない。取引を通じ、互いに共感出来る要素を共有したい」
部品等を供給頂いている協力関係会社様、また弊社の製品を販売して下さっているお取引先の社長さんに対しても、常日頃から私はそのような気持ちで接しているつもりですし、それは国内だけでなく、海外に対しても変わりはありません。

そういう意味からすると今後、製品を生産する協力関係会社の主要取引であるFCP社の蔡社長や蘇副社長に対しても同じで、今後、更なる関係を持つであろうT社の金菫事長に対しても同じような気持ちで接していこうと思いました。

T社と出会って以降、特に04年に入ってからの私の行動パターンはそれまでとすっかり変わりました。最初2泊3日であった訪中スケジュールも、気づけば3泊4日と日程が伸び、2月には建国記念日の祝日を利用して5泊6日の中国出張が決定。11日にFCPの工場見学。翌日に南京代理店でお客様大会に参加。その午後には山東省済南に移動。翌日には済南代理店でお客様大会。この済南代理店の劉社長は今までの代理店の中で一番若く、31歳でした。
中国人特有のギラギラしたところはなく、けれど何か気になる青年社長でした。この劉社長とはそれから後、私と大きく関わりあって来るのです。

済南のお客様大会を終えた午後に青島へ移動し、翌日には青島代理店でお客様大会。勿論、この間の移動には金菫事長も同行していました。その青島でのお客様大会が終わった後に、青島のホテルで金菫事長と12月・1月と解決できなかったロイヤリティーについて話し合いの場を持つ事になりました。

OSGとT社とで設立する合弁会社は、いろいろな課題を抱えていました。
社名は「T社三愛」で決定。中国では会社名は漢字で表しますが、アルファベットのOSGでは漢字で表記出来ない為、弊社の創立以来の経営理念である「人を愛し、仕事を愛し、人生を愛せ」の「三愛」をOSG側の名前としました。(T社のTは漢字でのローマ字の頭文字です)
出資比率・工場の設置場所・納品価格・年間台数等、様々な解決すべき問題がありましたが、一番解決が遅れたのがロイヤリティーの問題でした。

当初、金菫事長は「ロイヤリティーなど中国の制度にはない」と拒否。ブランド力等の説明をした結果、1月の会議では「ロイヤリティーは仕方なく認める」という事で、その金額だけが2月の会議、すなわち青島会議の場で決める事になっていました。
夕方6時から始まった会議は、食事を挟んで深夜12時になっても金額の決定には至らず、翌日は日本へ帰国の為、今夜中に決着を着けようと会議の方向性は決まっていましたが、話は堂々巡りのままでした。

「売るだけ、買うだけの関係では味気ない。取引を通じ、互いに共感出来る要素を共有したい」
私は金菫事長にもそう話していましたが、ロイヤリティーに対する認識がないせいか、金額があまりにも低いので「それはOSGの価値を認めていない事になる」とこちらの意向を伝え、今夜は遅いので明朝7時に朝食を摂りながら会議を再開しようという事になりました。

翌朝、私は約束の7時に敢えて参加せず、8時前になってようやく顔を出しました。金菫事長は少し安心した顔で「今朝は時間がないので、次回にやろう」と言いました。問題の先延ばしが出来たと思ったのでしょう。遅刻をしてもニコニコしていた位です。
「昨夜は残念ながらロイヤリティー問題は解決に至らなかった為、私はあれから寝ずにどうすればいいのか考えました。考え抜いた結論を手紙に書いたので、私が帰った後に読んで下さい」
そういって私は金菫事長にホテルの封筒を差し出しました。金菫事長は呉秘書に「今すぐ読みなさい」と開封を指示。呉秘書の翻訳内容を聞いて、金菫事長の顔色が変わりました。
「今から話し合おう」と金菫事長が言ったと同時位に、同行していたOSGの社員さんが「湯川社長、空港行きの車が来ました」と私に伝えました。
私は金菫事長に「飛行機の時間に間に合わないから」と着席を断り、「再会!」と言い残して空港に向かいました。

これが後々、2人で良く話題になる「青島(チンタオ)会議」です。
さて「青島会議」で私が差し出した手紙の内容は・・・。

 

追記

2003年9月20日に初めて金菫事長に会った時、金菫事長に対し思わず「兄弟」と呼んだのは何故か。そんな質問が私の知人達から寄せられて、その数に驚いています。

今年の7月末、久しぶりに金菫事長と珠海で会ったので、そんな話題になりました。

「湯川さんが初対面の私を“兄弟”と呼んだので驚いた。実のところ私もその理由を知りたい」

話している内に当時、私は三国志を愛読していた事を思い出しました。「桃園の誓い」ではないけれど、つい劉備か、関羽か、それとも張飛の気持ちになって口走ったのだろう。
「必ず中国でナンバーワンになろう!」という思いがつい「兄弟」と呼ばせたのかもしれないという私の説明対し金菫事長は「中国ナンバーワン」の話は出会った後に出た話なのでおかしいと反論。結局は「前世が兄弟だったのでつい呼んでしまったのだろう」と笑いながら久しぶりにお酒を酌み交わしました。
「兄弟」と呼び合って12年の付き合いです。

(次回に続く)

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