代表取締役 湯川 剛

この「人生はプラス思考で歩きましょう!」は1年間の出来事を平均して約5回掲載、すなわち約3ヶ月で終えるようにしています。
ところが現在掲載している2001年度分はなんと13回(196回〜208回)掲載してやっと6ヶ月分が済んだところです。それ程、2001年は私にとって忘れられない出来事や難解な問題が次々と起こった年はありませんでした。

2001年は私達OSGにとっては、特別な年です。
1991年1月14日の20周年の社内大会の席上で「私達は10年後の2001年に株式公開する」と全社員さんの前で宣言した特別な年です。
「事実は小説より奇なり」と言いますが、小説やテレビドラマは筋書きのあるストーリーで最後は決着を約束されていますが、実際のビジネスや人生はリアルな世界。
当然、思い通りに行かないのが殆どです。宣言しての10年間は山あり谷ありで一進一退でありながらも、迎えた2001年もすんなりといかないのは当然かもしれません。

7月は当社の上半期の決算月。
7月2日(月)、早朝より全国の拠点に向けて一斉朝礼を行ないました。
当時、テレビ会議を導入していませんでしたので、電話会議で行ないました。
「皆さん、おはようございます。本日は全国一斉朝礼を行います。今月は7月決算月です。
この上期の成果が株式公開に対する最終評価されます。
今月の月間テーマは7月決算 7月決戦≠ナ、文字通り決戦です。
この場をお借りして、3つの事を確認します。」として、私は電話会議で話し始めました。

内容は大まかに以下の通り。
1.私達が優秀なら勝てる。劣っているなら負ける。
すなわちこの株式公開が実現するかどうかは、まさに私達にとって優勝劣敗決定戦のようなもの。私達が公開企業に相応しい実力があるならば実現は可能でしょう。しかしまだまだ力不足ならば、それはNGのジャッジを受けます。
2.私達はチャレンジャーです。
11月11日(弊社の創立日8月29日に次いで重要な記念日)の記念日がわざわざ我社にあるように、私達はいつも目標を掲げ、挑戦してきました。
日本では株式会社数が150万社あると言われています。その0.3%の約4500社が上場会社。その0.3%に挑むのです。大変挑み甲斐があります。
3.私達は株式公開前の目撃者です。そして当事者であり参加者です。
この公開にチャレンジするのは当然の事ながら他人の話ではないのです。
私達の人生の一コマであり、私達自身が演じるのです。

現在もそうですが、OSGの7月の月間社内テーマ「7月決算 7月決戦」は、この時に生まれた言葉です。

翌日7月3日の夜、管理職から昨日の私の話を聞いての決意メールが続々と届きました。
それぞれの思いや熱いメッセージに、私は自宅で一通一通正座して読みました。
何としてもこの7月決算を乗り切らなければならないと、改めて思いました。
7月に入って証券会社との打合せが連日続きました。主に投資会社向けのIR活動に関する資料作成やインサイダー等、公開後のコンプライアンスについての勉強会等でした。
IR(インベスター・リレーションの略/企業が株主や投資家向けに行なう広報活動。)の進め方についてアドバイスを受けたりしたのも、この時期でした。
1日数時間かけてIRのロープレ等の練習も開始し、休日も返上しての練習です。

7月決算の成績が重要であると言われていたにも関わらず、証券会社は「もし公開すれば9月以降の数字も重要である」と言われ、内心、そんな数ヶ月先の余裕などない気持ちで聞いていました。第2週に入るといろいろな証券会社が訪れるようになりました。

7月17日の日本経済新聞の朝刊を手にした私は、一気に緊張が高まりました。

それは・・・。

(次回に続く)

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