代表取締役 湯川 剛

2月の3連休返上で取り組んでくれた株式公開準備チームの頑張りがあって、やっとの思いで必要な資料を提出する事が出来た2日後の2月14日。バレンタインデーの夕方に、日興証券から連絡が入りました。
「あくまでも順調に事が運ぶ事が前提で、8月23日に株式公開日が仮決定しました。公開に向けてクリアすべき大きな課題がまだまだありますが、8月23日公開を目標に頑張って下さい」との事でした。私は具体的な日付を聞かされ、更に気持ちを引き締めました。

仮決定とはいえ、具体的に株式公開日が示された訳ですが、それでも絶対的保証が得られた訳ではありません。今はとにかくひとつひとつ課題クリアに向けて頑張るしかないと思いました。
全力投球して負けても悔いなし。人生、ベストを尽くすことが尊い。
たとえ失敗に終わってしまったとしても、それがベストを尽くした結果であれば、失敗した事実だけではなく、ベストを尽くした事実も同時に残るのだと自分自身に言い聞かせました。
そんな多忙極める中にあっても、将来OSGを背負う人材育成、特に新入社員教育は自ら行ないました。社員こそ、我が社にとって宝だと考えたからです。

その後の予定としては、4月上旬に日興証券引受審査部より質問が提示され、4月中旬までに回答を行ない、4月下旬に審査部と社長・監査役の面接が実施されるという事でした。
公開準備は、書類作成や面接だけではありません。それ以外にも解決しなければならない問題をいくつか抱えていました。

そのひとつがオムコの特許に関するものでした。
2000年2月1日にオムコの営業権を買収した際、「営業権にすべての特許が含まれている」との事で、中には創業者の個人名義で特許取得しているものもありました。
ところが、一向に個人名義の特許取得分に対する名義切替が行なわれる様子がありません。
また工場の建物も金融機関の担保設定をされている為、名義切替が未解決のまま生産操業している状況でした。
ちなみにオムコが倒産した事によって1999年11月、主力銀行の小川信用金庫までもが経営破綻。その為、当時の債権回収機構(RCC)の管理下にあった為、オムコ名義の工場売買についてはRCCと話し合うことになりました。

そこでRCCとの交渉担当を子会社である当時のニチデン(現、OSGウォーターテック)の社長に任せる事にしました。双方で何度かの話し合いを行なった結果、売買金額もほぼ決定。
最終決定はRCCメンバー(殆どが弁護士)と親会社OSGの社長である私との面談で結論を出す事になりました。我々の希望額に近い金額を得られた事は何よりの成果で、私はこれまで交渉にあたってくれた子会社社長の労を労いました。

3月15日、夕方5時30分はすっかり日が暮れていました。
RCCは小川信用金庫の本社を陣取って業務をしていました。倒産の厳しさを突きつけられたような感じです。予定時間に訪問するとRCCのメンバーの人達が出迎えてくれました。
面接場所は5階との事で、エレベータで移動する事になりました。
エレベータに乗って、私は出迎えて下さったRCCの方に声を掛けました。
「皆さん方も遅くまで大変ですね。でも夕方ですので業務は終わりですか。」すると
「連日連夜、徹夜で業務を行なっています。本日のように1件でも片付けば助かります。」
そんな言葉が返ってきました。

実はこの一言が数分後に行なわれる面談に大きな影響をもたらすのです。

(次回に続く)

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