代表取締役 湯川 剛

「IT革命とグローバル化」をどう取り組むか。
30年を区切りに直面した、新たな課題でした。31年目を迎えた9月の事でした。

オムコ事業を引受けるかどうか随分と迷い、紆余曲折を経験しましたが、徐々に次のような事が見えてきました。
それはオムコ事業を引き受ける事で、確実に事業の広がりを得たという事です。
家庭用アルカリイオン整水器以外に業務用から産業用、そして機能水として殺菌水など、それまでのOSGにはなかった事業の広がりが起こりました。市場も従来とは違った分野に広がり、取引先も多岐に渡りました。

経営者の決断は、時として企業の命取りになる場合もあれば、逆に企業に新しい命を吹き込む場合もあります。正直なところ、オムコ事業の引受けに踏み切った当時、後になって思えばとても消極的な考え方ですが「会社がおかしくならなくて良かった」という思いがなかったとは言い切れません。
しかし、引受けから半年が過ぎ、何となく周りの景色が見えてきたところから、
「もっと積極的に展開させるべきだ」と思い直しました。

目をつけたのは、海外向けの企画でした。
グローバル化に対応すべく、海外への売り込みを企画の第1弾に据えました。
試みとして機能水に関心のある海外の企業を1つのネットワークとして構築し、お互いの持っている情報を交換できないだろうかと考えました。
同時に、各国からの参加企業をOSGの代理店にできないだろうかとも考えたのです。
その思いは、2000年の春先から温めていたものでした。
良い意味でも悪い意味でも、私はすぐに行動を起こしてしまうところがあります。
「まずはやってみようじゃないか精神」が先行し、考えるより先に行動してしまっているという事がよくあるのです。
幹部に相談したところ、「参加者を集められるのか?」「言葉の問題は?」等、いろいろな課題をアドバイスしてくれました。行動が先行する私は、そんな「参加者が集まるか否か」や「言葉の問題」等の前に、既に「ウォーターサミット」というタイトルだけは決めていたので、そのまま実施する方向で事を進めました。

こうして2000年10月20日、第1回目のウォーターサミットが米国:ラスベガスのエクスカリバーホテルにて開催されました。記録によると、米国(3社)・台湾(2社)・韓国(2社)、そして日本(5社)の4カ国:12社で行なわれ、OSGからは最優秀社員の研修旅行も兼ねて、30名近くが参加しました。
サミットは2部構成で、第1部は機能水セミナー、第2部はパネルディスカッションを行ないました。4カ国の同時通訳が出来るほどの予算は捻出できなかった為、全て英語を共通言語として進行。その為、時間はかかりましたが、想像以上に盛り上がりました。

その後行なわれた打ち上げパーティーでは、活発に情報交換がなされました。
そのパーティーの席になんと、当時ロスに住んでいたアントニオ猪木さんが、わざわざラスベガスまで駆けつけて下さり、飛び入り参加。韓国や台湾でもその人気は絶大で、アメリカ人にとっても「モハメド・アリと闘った男」として大変知名度があり、大いに盛り上がりました。

さて、サミットの翌日。参加各国の代理店と商談の機会を持ちました。
初日はセミナーやパネルディスカッションで情報交換し、翌日は商談。
第1回目にしてウォーターサミットのパターンができた感じです。

ご存知のように機能水は日本で誕生した製品であり、技術です。
60年以上の歴史もあり、他国とは比較にならない程の実績も情報もあるのです。

外国企業が日本で誕生した機能水に関心を示してくれた事に、私は驚きを感じていました。それが証拠に米国のメンバー達からは
「もっと日本の情報がほしい。」
「日本人のセミナーを聞きたい。」
「もう一度、日米でウォーターサミットの報告会を開催を希望する」との申し入れが多く寄せられました。私は、「継続させる事」を優先に考え、「参加各国で年1回開催」「まずは5年間開催し、以降の開催の見直しを行なう」という意見を出しました。

こうして翌年2001年に第2回目を東京で開催する事が決まりました。
ちなみに東京会場では米国・台湾・韓国以外に、英国・ノルウェー・中国・インド・インドネシア・オーストラリア等の国が参加しました。
それ以降、ウォーターサミットは02年:台湾・台北、03年:韓国・ソウルで開催。

そしてひと区切りの第5回目を迎える04年には中国・上海で行なうことになりましたが、中国側の要望で05年に北京で6回目を開催するまでになりました。

(次回に続く)

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