代表取締役 湯川 剛

1997年の12月末に待ちに待った新社屋が遂に完成しました。
私は決して記憶力の方は良くはありません。しかし忘れずに思い続けていた事はあります。
「何としても自社ビルを建てたい」という思いは、ひと時も忘れた事はありませんでした。
1973年秋「君とこは雑居ビルだから取引できない」と言われて、帰り道にビルを建てたいと思って、まさかその断られたビルの真横に自社ビルが建てられる数奇な運命に驚くばかりです。

24年と言えば、およそ四半世紀に亘っての夢の実現です。

工事中、時間があれば何度も見に行きました。工事監督や設計の先生に「間違いなく隣のビルより10センチ高くなっていますね」と尋ねると「10センチどころか、もっと高いですよ」と言われ、そんな時は借金を背負っている事も忘れ、自然と笑顔が出たものです。不思議なもので、その時は断ったZ社の事は何も考えていません。むしろ断って頂いたZ社に感謝したい気持ちでいっぱいでした。

 

工事中の簡易エレベータで、私は時間があれば何度も屋上まで上がりました。それは屋上から大阪城が見えたからです。最初、見た時には驚きました。これは私にとって予想外の出来事です。「わぁ〜、大阪城が見える。大阪のシンボルがこの新社屋の屋上から見える」

工事に入るまで、全く知らされていませんでした。仕事でつらい時は屋上に上がって大阪城を見る事が唯一の楽しみで、随分と癒されました。 夏には日本三大祭りの天神祭りの花火もまさに数百メートル先で上がり、春には造幣局の桜の通り抜けがある。この地域の事は十分に知っているつもりでしたが、それでも屋上に上がれば特別な気持ちになりました。

1997年の12ヶ月間の日々、ビルの形が変化し出来上がっていくその過程は、まさに27年間の苦労の連続を具現化したもののように思えました。雑居ビルの5坪の掃除道具部屋からスタートしたこの会社は、27年の間にいろいろな体験を与えてもらいました。

「10センチ高いビル」とは隣との比較ではなく「今日の最高は明日の最低に」という挑戦心が形になったようなもの。勿論、現在も苦労の連続の真っ最中です。しかし何とか出来るのではないかという極めて根拠のない無責任な自己暗示ですが、日々積み重ねていく努力と日々変化するビルの形を見る度に感じたのです。

23歳の若造が早50歳になり、この新社屋の完成をひとつの節目にしたいと思いました。

全く何もなかったこのOSGに、よくぞ社員さんがついてきてくれたと思いました。

また多くの販売店様やお客様、そして仕入業者様や金融機関の方々が、この無名な会社に温かなご支援やご声援をして頂き、この新社屋はそれらの協力の賜物であり具現化したものでもある訳です。多くの人に恩返しをしたい。少しは名の知られる会社になりたい。

屋上から大阪城を見る度に、自分の気持ちは高揚するばかり。休んではいけない。気を緩めてはいけない。自分の為の休息の時間を作ってはいけない。ただただ会社に奉仕するのだ。私にとってこの新社屋は、いろいろな思いが詰まっているビルでした。

1997年12月28日。1年前のこの日と同様に、私達は新社屋に引越ししました。

(次回に続く)

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