代表取締役 湯川 剛

1990年。第3次5カ年計画の最終年度である年明けの三が日は、5年前の第2次5カ年計画達成を決める年明けとは全く違ったお正月でした。そもそも第3次5カ年計画は無理な立案でした。当時20億円程度の売上しかなかった私は、なんと5年で5倍の「100億企業実現」を第3次5カ年計画に据えたのです。その4分の1にも満たないまま年を明けたので奇跡が起こらない限り実現不可能な目標でした。
第1次7ヵ年計画の実現に引き続き、第2次5ヵ年計画も実現し、当時38歳の怖いもの知らずの私は「第3次5ヵ年計画:5倍の100億」を目標に掲げたのです。GAT訓練と「行動する販売戦略勉強会」に明け暮れる私は既に43歳を迎え、当時を振り返ると「自信」が「過信」になっていたような気がします。それを見透かしていたかのように水面下では、全く予想もしない大手企業が我々のビジネスに触手し、知らず知らずの内に包囲されていました。
東証一部のT社が我々と同様の低周波治療器を破格な値段でテレビ販売してきたのです。

従来の据え置き型製品と比較して、携帯式で使い勝手も良くしかも価格も従来品の半分程度でしたので、当然の事ながら売上に好影響を与えていました。しかも従来の既存市場ではなく、ガソリンスタンドという全く治療器とは無関係の新市場開拓も勝利の要因でした。
勿論、同業他社もガソリンスタンド攻略に着手されていましたが、ことごとく失敗。そんな状況下、いつしかオンリーワン的な安心感を抱いてしまっていた事が「過信」へと導きました。この市場が永遠に続くとは思っていませんでしたが、しかしあと5〜6年は大丈夫だとは思っていました。つまり第3次5ヵ年計画で一気に5倍増はイケると判断したのは、若さゆえの無防備で無謀な計画だったのです。
当然、大手が年間10万台も売れる魅力的な商品と市場を見逃す筈がありません。市場は確実に変化していきました。全く同じ携帯式で使い勝手良く、価格は更に半分以下でT社は参入してきたのです。しかも「他社が攻略してもビクともしなかったガソリン業界」と安心していた市場など無視し、テレビ販売という手法で直接ガソリンスタンドにも来ているであろう消費者に向けて攻略を始めました。この商品は説明しなければ売れないのだと、最初は高をくくっていましたが、一日何十本も流れるスポットCMは脅威でした。

私は不眠不休の体制で動いていましたので、大きな流れに気がついていなかった事もあったのでしょうが、この年も1月4日から浜松で訓練があり「オレがこんなに動いているのに」という自負が益々判断を誤らせていったのです。

しかし社内の状況を全く把握していない訳ではなく、年明けから私の時間は、「訓練・勉強会」と各営業所を廻り社員さんとの「ENJIN−ミーティング」に日々費やされていました。

そのような状況の中で迎えた5年目の最後の年(1990年)に有り得ない逆転勝利にわずかな望みを賭け、花博出展を決めるのです。

※「ENJIN−ミーティング」とは私と社員さんとのミーティングで、
「円陣を組む」という意味と「全体を牽引するエンジン」という意味のOSG独自の言葉。

(次回に続く)

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